■1948年以前
日東ベスト(株)がコンビーフの試作を繰り返していた頃、試作品として作られた容器は陶器でした。世に出る機会はありませんでしたが、これが、国産コンビーフ第1号の容器「アンカー瓶」の前身となったのです。
1945年、 第二次世界大戦終戦
■1948年6月 昭和23年
国産コンビーフ第一号 「ノザキのコンビーフ」(瓶詰) 発売
アンカー瓶 1948年(昭和23年)国産コンビーフ第1号の容器。コップ型のガラスと、ブリキ製の蓋でできています。
発売当初は缶の製造に必要なブリキの供給が不十分な時勢であったため、意外にも国産コンビーフ第一号は“瓶詰”のもので、コップ型のガラス瓶と、内側にゴムリングをはめたブリキ製の蓋でできた「アンカー瓶」に入っていました。 また当時は、現在のように十分な冷蔵設備がなかったため、製造元の日東食品製造株式会社(現日東ベスト)では、氷を入れた水槽を冷蔵庫代わりにして、肉の塩漬け加工を行なっていたほか、瓶の殺菌も一つずつ金具で抑えて行っていたなど、その製造工程には多くの苦労がありました。
帝銀事件
■1950年6月 昭和25年
「ノザキのコンビーフ」 (枕缶)発売
国産コンビーフ(缶詰) 第一号倉庫入り(昭和25年) (所蔵:日東ベスト株式会社)
その後、やはり瓶詰では製造や取り扱いが不便なため、国産瓶詰コンビーフ第一号発売から2年後の1950年に缶が開発され、現在とほぼ同じ形の200グラム缶が出荷されました。 これが、国産コンビーフ“缶詰”の第一号です。 レトロな牛のマークは、お客様に長年愛されつづけ、今でも変わりません。
朝鮮戦争
■1955年頃 昭和30年代
広告・宣伝活動においては、高度成長期の1955年頃(昭和30年代)から2000年頃までは、JR(当時の日本国有鉄道)の送電線の鉄塔や首都圏(山手線・中央線・京浜東北線沿線など)の電柱に365枚の「ノザキのコンビーフ」の看板を大量に設置されました。また、テレビやラジオCMを積極的に実施し、知名度の向上と幅広い層への認知拡大に成功しています。
1958年、 東京タワー竣工
■1961年 昭和36年
ケネディ米大統領就任
■1978年頃 昭和53年
発売後は予想以上の人気を博し、とくに1965年(昭和40年)に入ると高度成長と食生活の向上もあり、缶詰の中で高級品目の一つとして扱われ、日本の食卓の花形商品となりました。生産のピークであった1978年(昭和53年)には、年間生産数が3264万缶(68万ケース)にものぼりました。
日本一の高層ビル(当時) サンシャイン60 完成
■1985年 昭和60年
「コンビーフライト・エイティー(LIGHT80)※」発売
※現在取り扱いをしていません。
科学万博つくば85開幕
■1999年 平成11年
川鉄商事(現JFE商事)、野崎産業を吸収合併
川商フーズと野崎産業の歴史
コンピュータ2000年問題
■2000年 平成12年
「ノザキのおつまみコンビーフ※」 「ノザキ ピリ辛焼肉」発売 「ノザキ ピリ辛ソーセージ」 発売
「ノザキ 熟成コンビーフ」発売 「ノザキ 熟成コンビーフ(赤ワイン仕込み)※」発売 「ノザキ 熟成牛肉香味煮込 ハーブ&オリーブオイル仕立て※」 発売
白川英樹博士 ノーベル化学賞受賞
■2003年 平成15年
「ノザキのコンビーフ 金ラベル」発売
六本木ヒルズ開業
■2004年 平成16年
川鉄商事食品部門の独立・分社化に伴い、川商フーズ(株)発足
スマトラ沖地震
■2005年 平成17年
「ノザキのおつまみコンビーフスライス」発売 「ノザキのおつまみさくら肉スライス」発売
京都議定書発効
■2006年12月 平成18年
川商フーズ(株)と川商食品(株)が合併 川商フーズ(株)本社移転
トリノ冬季五輪
■2008年3月 平成20年
原材料高騰に伴い「ニューコンミート」の価格を改定
■2010年9月 平成22年
「上級コンビーフ」に代わる「山形県産牛コンビーフ」発売
■2011年9月 平成23年
「コンビーフ EO缶」発売
2011年3月東日本大震災
■2012年3月 平成24年
「コンビーフカレー」発売